ゾイドインフィニティ
エナジーライガー
伝説のゾイド


エナジーライガー


どれほどのプレイヤーが乗りたいと願っただろう?
どれほどのプレイヤーを魅了しただろう?
どれほどのプレイヤーが驚いただろう?



 このページは2004年に稼働していたアーケードゲーム ゾイドインフィニティのエナジーライガーの魅力を記載したページです。管理人の実体験を元に記載しています。多くのプレイヤーを虜にしたエナジーライガーの魅力を伝えたいです。



 時は2004年、ゾイド初のアーケードゲーム ゾイドインフィニティが稼働して2、3か月が経った。最初はCPU戦を楽しんでいたプレイヤーも次第に対戦メインとなり、ブレードライガー、ゴジュラス・ジ・オーガ、アイアンコングPKが初期3強として君臨していた(イエーガー覚醒前)。

 強い機体、弱い機体が存在する中で誰も乗らなかった機体が存在した。エナジーライガーとライガーゼロフェニックスだ。強弱や人気の問題ではなかった。



…いや、正確には誰も乗らなかったのではない


誰一人として乗ることを許されなかったのだ



 この2体は乗り換え条件が非常に厳しかった。他の機体は必要な階級が長くて「少佐」までで、階級はバトルポイントに依存するためCPU戦をプレイしていればなんとかなった。それに対し、この2体は対人戦闘数、勝率で到達できる階級「准将」が必要だった。


エナジーライガー、ライガーゼロフェニックス乗り換え条件
●階級が准将(対人戦闘数500回以上かつ勝率5割以上)
●乗り換え元がライガータイプのみ(他の機体からは不可)
●専用乗り換えアイテム所持(エナジーチャージャー BLOXフェニックス)


勝率5割と専用乗り換えアイテムはなんとかなった。問題は対人戦闘数とライガータイプのみからということだ。アーケードゲーム経験者なら対人戦闘数500回がいかに難しいことか分かるのではないだろうか?ちなみにこのゲームの戦闘数は総合対戦数ではなく、ゾイド1機のみでカウントするため、他の機体の戦闘数は全く関係なかった。
 例えばシールドライガーでカードを1枚作ったら、そのカードのみで対人戦闘数500回に達しないといけない。自己所有でも他のライガータイプの戦闘数の合算やカード再発行はできないため、条件が厳しかった。

 さらに乗り換え元がライガータイプのみも厳しかった。当時はブレードライガーの強さが目立ったが、それでも機体の相性やステージ相性もあり、戦闘数500回は容易ではなかった。人気機体なだけに機体数も多く、ブレード展開後の隙など対策されやすかった。






…と准将機体の乗り換えの厳しさを説明したが、当時エナジーライガーとゼロフェニックスはゲーム内でのその強さが全く認識されていなかった。バトストの活躍とその外見から人気はあったが、このゲームではCPUの動きが悪く、チャクト戦(ゲームオリジナルキャラ)でのみ出現するため戦うことも少なく、エナジーライガーはレシプロケイティングミサイル(特殊突進技)で、あさっての方向に飛んでくネタのようなゾイドであった。
 さらにこのゲームでは一度乗り換えてしまうと基本的に元のゾイドに戻すことは不可能であり、また最初からカードを作らないといけなくなる。せっかく准将にまでなったのだから誰も乗っていないゾイドにするくらいなら、愛機のままでいたいプレイヤーも多かった。


結局、エナジーとゼロフェニックスの強さは誰にも分からず、ゲーム登場ゾイドの中では最新キットであり、キット販促のためのおまけのゲストゾイド程度にしか思われていなかった。皮肉も込めて「伝説のゾイド(笑)」だった。








…そして時が経ち、ついに全国でエナジーライガーが出現した。最初はやはり対戦が盛んな関東、関西方面だった。そのスペックは瞬く間に全国に広まった。

この時、どれほどのプレイヤーが乗りたいと願っただろう?どれほどのプレイヤーを魅了しただろう?どれほどのプレイヤーを驚かせただろう?
 まるでアニメフューザーズの主人公RDがエナジーライガーを追うように、全国のプレイヤーがエナジーライガーを目指した。



エナジーライガーはおまけのゲストゾイドでも「伝説のゾイド(笑)」でもなかった。全国で多くのプレイヤー虜にし、准将への到達促し、ゾイドインフィニティというゲームを人気付けた本当の意味での「伝説のゾイド」だった。

鬼神の如きスペックを誇ったゾイド



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注意 家庭版ゾイドインフィニティフューザーズゾイドインフィニティEX NEOが出ていますが、家庭用ゲームコントローラーでは当時のエナジーライガーの動きは不可能だと思います。


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